孤独の克服: 川端康成作品からの学び
旅先で触れた、透明な心――川端康成『伊豆の踊子』感想
ふとしたきっかけで、川端康成の『伊豆の踊子』を手に取りました。ページ数にしてわずか50ほどの短編ですが、読み終えたあとの余韻が、静かに、そして深く心に残りました。今回はその感想を綴ってみたいと思います。
学生の孤独と、踊子の無垢さ
物語の語り手は、東京の学生。彼はひとり伊豆へ旅に出ます。どこか世間から距離を置いているような、少し斜に構えたような、そんな孤独を背負った青年です。
そんな彼が旅の途中で出会ったのが、旅芸人一座の一人、若い踊子でした。彼女はまだあどけなさの残る少女で、無邪気に笑い、真っ直ぐに人の心に近づいてきます。
学生は最初、彼女たちの素性や身分を気にし、どこか一線を引こうとします。でも、踊子の素朴な優しさや、邪気のないまなざしに触れていくうちに、次第に心の奥にあるやわらかい部分が揺らいでいくのが伝わってきました。
彼の孤独は、誰にも理解されないと思っていた自分自身への不信から来ていたのかもしれません。そんな中で踊子の笑顔は、彼の内側に染み入るようにして、「人を信じてもいい」と思わせてくれたように感じました。
「何も起こらない」のに、なぜこんなにも切ないのか
この物語には、大きな事件も劇的な展開もありません。ただ、旅を共にして、少し心が通って、別れていくだけ。
でも、その「何も起こらない」ことが、逆にとても切なく、美しく感じられました。
ふとすれ違った人の優しさや、一度きりの出会いのぬくもりが、時に人生を照らしてくれることがある。そんなささやかな真実が、この物語には込められているように思います。
自分の中の「学生」と重なる思い
私自身も、学生という立場ではありませんが、どこか世界と距離を感じたり、人とのつながりに臆病になってしまう瞬間があります。だからこそ、踊子のあの明るさや、無垢なふるまいが、まるで心の奥を照らすように映りました。
人との関わりが怖くなるとき、「傷つきたくない」という気持ちが先に立ってしまうけれど、それでも人に出会い、心を通わせることで、自分自身も変わっていけるのだと、この作品がそっと教えてくれた気がします。
おわりに
『伊豆の踊子』を読み終えた今も、あの踊子の笑顔と、去っていく学生の姿が、心のどこかに残り続けています。
これは、出会いと別れを描いた物語でありながら、人の心の再生を静かに描いた作品でもあると感じました。
少し孤独を感じている人に、そっと寄り添ってくれるような物語。読んでよかったと思います。
以下PRとなります。#PR
📱 楽天モバイル、実はこんな紹介制度あります
【最大14,000ポイント還元】
最近よく聞く「楽天モバイル」。
私自身も使っているのですが、実は従業員紹介制度というものがあるのをご存じですか?
この制度を使うと、楽天モバイルを新規で契約する方に、最大14,000ポイントがプレゼントされるキャンペーンが適用されます🎁(※タイミングや条件によって変動あり)
実際に使っていて感じるメリットはこんな感じ:
-
月額3,278円(税込)でデータ無制限使い放題(楽天回線エリア内)
-
使った分だけ料金がかかる従量制
- 楽天LINKという専用アプリを使えば国内通話無制限無料
-
YouTube Premium 3ヶ月無料など、意外と特典が充実
-
楽天ポイントが貯まりやすくなる(SPUアップ対象)
私の場合、普段のスマホ代を抑えつつ、ポイントも活用できるのでかなり満足しています。
もし「そろそろ乗り換えようかな」とか「サブ回線を検討中」という方がいれば、
ぜひ楽天モバイルをおすすめします!
紹介リンクはこちら!
https://r10.to/h53DkQ?openExternalBrowser=1
あの時の選ばれなかった私へ
今週のお題「部活」
部活に「楽しかった思い出」は少ないけれど
私には、いわゆる「部活が楽しかった!」という記憶があまりありません。
中学、高校、大学とそれぞれのステージで一生懸命に取り組んできましたが、振り返るとどこかしらで必ず挫折を経験してきました。
それでも今、少し距離を置いて当時の自分を見つめてみると、あの時間は確かに私にとって大切な経験だったと感じます。悔しさも葛藤も、そのすべてが今の自分をつくる糧になっていると思えるのです。
中学時代、強豪チームでの悔しさ
中学では、陸上部に所属していました。私の学校は駅伝が強く、県大会で3位以内に入ることもあるほどの実力校で、近畿大会への出場経験もありました。そんなチームの一員になりたくて、私は長距離を選び、日々努力を重ねていました。
1年生のある日、学内の駅伝メンバー選考で、私は5位以内に入り、条件を満たしました。でも、結果として私はチームから外されました。
その理由は、私の「勝ち方」にありました。私は、先輩の背後につき、ラスト200メートルでスパートをかけて追い抜くという走り方をしたのです。監督はそれが引っかかったようで、レースを通じて強気な姿勢を崩さなかった先輩の方が、メンバーとして選ばれました。
納得できなかった出来事に、今思うこと
当時は、とても悔しかったです。条件をクリアしていたのに外されるのは、やはり理不尽に感じました。
でも今振り返ると、少しだけ分かる気がするのです。
その先輩は、ただ速いだけでなく、チームの雰囲気や信頼関係の中で、自分の役割を果たしてきた人でした。私が思っていた「強さ」は、単にタイムの速さだけではなかったのかもしれません。
もしかすると、あの選考は、監督からのメッセージでもあったのかもしれません。「勝つ」ことだけではなく、「どう戦うか」「どう信頼されるか」も大切だと。そして、これからより強豪として戦っていくには、もっと強気に、攻める気持ちを持たなければならないということを、私に伝えたかったのだと思います。
「実力」=「強さ」じゃない
この経験を通して学んだのは、「正しさ」や「実力」だけでは物事が決まらないということです。どんなに努力して結果を出しても、それがチームにどう貢献するか、どんな姿勢でそこに立っているかが、意外と見られているのだと知りました。
悔しさの中で、それでも前を向いて踏ん張った時間が、今の自分の芯をつくってくれた気がします。
結果は思い通りにいかなくても、「その時の選択が、何を教えてくれようとしていたのか」と考えることで、自分の中に小さな成長が積み重なっていく。
そんなふうに、過去の挫折と向き合えるようになった今、「楽しかった」とは少し違うけれど、部活で過ごした日々はやっぱり、自分にとって大切な時間だったと思えるのです。
「八咫烏シリーズ最新作『亡霊の烏』感想|描かれる正義の複雑さ」
私のブログにご訪問いただきありがとうございます。
この記事では世間大注目の和風ファンタジー「八咫烏シリーズ」最新作、『亡霊の烏』の感想を書いていきます!ネタバレを含みますので、まだ読んでいない、ネタバレが苦手な方はご遠慮ください。
1. シリーズ最新作
基本情報ですが、「亡霊の烏」はシリーズ通算13作目(外伝を除けば11作品目)の作品です。第6巻『弥栄の烏』発表をもって第一部が完結し、今作品は第二部の5作品目です!今作品も一波乱、二波乱あり、最後の急展開に読む手が止まりません。物語の終幕に向け、山内の世界は緊迫化すると同時に複雑化しています。それらを様々な語りての視点から多面的に描き、見どころ満載となっています。
(発行所出版社は文藝春秋社)
2. 簡単なあらすじ
本巻では「望月の烏」で紫苑の宮が金烏との婚約を仕組まれ、これを阻むために滝に身を投げた、その後の時間から始まります。騒動、政治、その政治体制下の民衆の生活、桜花宮など、多様な語り手の視点から鮮やかに社会が動く様子が描かれていました。今回は金烏が政治に乗り出す、トビが北家朝宅で雪斎の母・梓と会い、貴族社会に触れる、この2軸を基に物語が展開。強固なものだった雪斎の政治が民衆の間で変わり始める「動揺」を描いた作品だと考えています。
3. 感想・考察※以下、ネタバレを含みます
雪哉の孤独と周囲との関係性
読んでいて、雪哉があまりにもつらすぎます。第四巻『空棺の烏』が特に好きな私にとって、第二部に入ってからは心が削られる展開の連続でしたが、今回の巻はとりわけ厳しいものでした。
彼は、愛する山内を守るため、自らを犠牲にして実利を取りにいきます。しかしその手段は、理想を捨てた苛烈で非道なもの。だからこそ、彼の真意は周囲に伝わらず、むしろ軋轢ばかりを生んでしまっています。
茂さんや若宮殿下がすでに亡くなった今、雪哉の優しさや愛情深さを知る人物は限られています。家族である梓や雪雉、雪馬――とりわけ、梓の存在は大きかった。しかしその彼女までもが、今はもういない。
中でも、雪正の「>>
生むべきではなかった<<」という言葉は、雪哉に深く刺さったのではないでしょうか。梓なら決して言わなかったであろう言葉、そして雪正にすら言わせなかった言葉が、彼女の死によって現れてしまった――雪哉は、確実に孤独の中へと沈んでいっています。
彼が「雪斎」として裁かれるとしても、「雪哉」として救われる展開があることを、心から願わずにはいられません。
紫苑の宮との関係について
そしてやはり、紫苑の宮との関係性も気になります。彼女は山内を追われてからというもの、常に雪斎と対峙してきました。今回も終盤で彼に対する制裁を強く求めています。
彼女の「雪斎」に対する政治的な批判は明確に描かれていますが、「雪哉」としての彼に触れる場面は、私の記憶では今作には出てこなかったように思います(もしありましたらぜひ教えてください)。
それだけに、第二部二作目『追憶の烏』で描かれた美しい夜桜の描写、そこでの雪哉と紫苑の宮との信頼関係を思い出すと、あの想い出は決して消えていないと信じたいのです。突然の別れがあったとはいえ、あれほどの美しい描写があったからこそ、彼女の中に「雪哉」という存在が残っていてほしい。
おそらく、紫苑の宮が最終的に「雪哉」に触れる場面は用意されているのではないかと予想していますが……それがどんな形になるのか、来年の展開が待ち遠しくてたまりません。
トビの聡明さ
トビの賢さには、ただただ感心させられます。冷静に状況を読み、考えながら行動できる彼の聡明さは、シリーズ全体でも際立っています。
しかし、彼の「仲間」はそうではありませんでした。限られた情報から判断して行動した結果、雪雉や梓を含む家族は殺害されてしまいました。
「あなたたちは男の子です」という言葉を受け取ったとき、トビは何を思ったのでしょうか。とても重い一言です。
この場面について、みなさんのご意見もぜひ聞いてみたいです。
金烏と路近のやり取り
今回の中でも印象的だったのが、金烏が御前会議の命令を撤回するよう治真に迫られる場面、そしてその後の金烏と路近のやり取りです。
とくに路近の言葉――
「まっとうなやり方ではらちが明かない、と気付く」
「挙句、それをさせたのはあちらなのだから、自分を悪くないとまで思う。人が最も残酷になるのは、自分こそが被害者なのだと思い込んだ時ですよ。どんな理想主義者も、そこに向かって全力で進めば進むほど、その抵抗にあえばあうほど、変節をせざるを得なくなる」
このセリフは、第一部での敦房(『烏は主を選ばない』)と雪哉のやり取りを思い出させました。あるいは今作における長束側の誰かにも当てはまるのかもしれません。
路近のようなキャラクターが、作品全体のテーマをさらりと語る瞬間に、シリーズの深さを改めて感じさせられました。
トビと梓の会話
また、雪哉の政策によって守られた私たちもまた同罪。もし裁かれるのなら、それは雪哉にとって救いになる――トビと梓のこの会話には、深く共感しました。
雪哉が救われるとしたら、こういった視点が鍵になるのではないか。読者として、そう思わずにはいられません。
今回の野良絵騒動について
今回の野良絵騒動は、紫苑の宮によるものと見て間違いないと思われますが、その計画は思うように運ばなかったようです。彼女にとっては「騒動を起こすこと」が目的だったのか、それとも明鏡院との間で意図のずれがあったのか……大所帯の中で思うように動けない、というのはどういう意味なのでしょう。
また、最終章に登場した>>
「緑の眼鏡の医」<<と>>
「切れ者そうな男」<<は、おそらく翠寛と千早ではないでしょうか?
次回は第六部。未回収の伏線や謎がまだまだ多くありますが、それらがどう回収されていくのか、とても楽しみです。
まとめ
本作を読み終えて、改めて胸に残ったのは、「正しさ」とは一体誰の、どこから見た「正しさ」なのかという問いです。それぞれが掲げる信念や理想、正義と愛情――それらが複雑に絡み合い、物語をより深く、多面的にしています。誰かの正しさが、別の誰かにとっての残酷になってしまう。そのすれ違いが、悲劇や孤独を生み出す様子に胸が締めつけられました。
また、今作でも情景を用いた心理描写が素敵で読んでいて惚れ惚れしました、、、、。また、こちらにフォーカスした記事も書いてみたいです。
第二部もいよいよ終盤。張り巡らされた伏線の数々、未回収の謎、そして登場人物たちの行く末――どれも気になりますが、何より「雪哉が雪斎として裁かれること」と「雪哉として救われること」がどう両立し得るのか、その結末を見届けたいと思います!みなさんの感想もぜひ教えてください!